37-3.『まぁコースなんて少しやくざなくらいが・・・・・・』って...
グリーンキーパーの野帳の付録
37-3.『まぁ、コースなんて 少し
《前回を御覧でない方はこちらから............》
「......あのさぁ、 先に『七十過ぎのとっつぁんなんか 契約の延長しなくて良い』とか ほざいては『年寄りを粗末にするな』って 親爺っさんに こっぴどくやっつけられたのって お前らの中で誰と誰よ・・・・・・」
呆れ果てたような 奴のその言に、まるで悪戯をしたのは僕達ですと 不承不承げろする小学生のように手を挙げたのは八っつぁん 熊さんだった――――――――
コースでは倶楽部選手権が始まっていたが グリーンを初めとして コースの評判はすこぶる良かった。
「......んなもん、出来なんか並だ並。辺りを見回せば 良い芝作っているコースなんかごまんとあるぞ。今回はたまたま先代のキーパーと見せ方が違うから新鮮に映っているだけで、出来自体は そんなに褒められたもんじゃぁねぇや。奴等の目の慣れちまった来年になったら 今度は何言われるか判ったもんじゃぁねぇやな」
俺達マスター室やフロントにお使いに行っては メンバーからコースを褒められた旨を伝えられ、それを報告する度に奴は さも面白くもなさそうにそう応えていた。
いやそれは 決して謙遜や照れ隠しの類ではなさそうだった。
むしろ奴の言うところの“娑婆気を出し過ぎたグリーン”が心配でしょうが無いらしい。
「褒められながら気が気でないのと、虚仮にされながらも 安心して見ていられるのと、もう 究極の選択よね、うふふふふぅ.........」
なんて言いながら へらへら笑うその表情は いやしかし 流石にさえないばかりだった。
五週間にわたる倶楽部選手権週間が終わったら一気に穴を開けて冬支度をするつもりだから・・・・・・
既に工場の機械の担当はエアレーターの準備を始めており、肥料倉庫には晩秋から初冬に掛けての資材が山になり始めていた。
件の事務の“おばねぇさん”の精神状態はなお不安定で なおその仕事はうわの空の限りだった。なんだって俺達も極力近づかないようにはしていたが、それももういい加減限界に近かった。
その日も午後の段取りは グリーンの刈り込み。
――――――――ただし 今日の午後から刈高がコンマ1ミリ上げられているとのことだった
例によって 薄暮だ1.5Rだで なかなか作業に入れない間、俺達は例によってパッティンググリーンで油を売っていた。
今日は鍾馗の親爺っさんは公休でいなかったが、誰が何処で見ているか判らなかったれば 一応格好だけでも零れベントを毟る振りをしていたんだが、
「へぇ、最近はそう云う小芝居が利くようになってきたんだ」
例によってにたにたしながら そこにやってきた奴に、俺達は泣き半分 本気半分で窮状を訴えた。そのついでに、
「あんなんじゃぁ 事務員なんかいらねぇすよ・・・・・・」
そんな不用意な一言が 俺達のだれからか漏れていた。
それを怒るでもなく 奴は にったり笑って、
「あのさぁ、先に『七十過ぎの・・・・・・』」
と云う 冒頭の言葉を口にしていた....................
「まぁ、人間なんて大方そんな生き物だけど 他人を量る矩尺ってのが 結局は “己の分の丈”でしかないんだ。良く『信用を失うのは容易い』とかって云うけど、実はこれもっと深い意味があるんだな。いいか、人間誰しも 相手がちょっと自分の矩尺に合わなくなっただけで すぐに『あいつは変わった』とか言い出す生き物だよ と。人の信用とか信頼なんて心の そのくらいに儚い、そのくらいに脆いものだと。そのくらい人の心は移ろいやすいものだと云う、無常尽尽の教えなんだな」
......奴の云うことの判ったような 判らないような・・・・・・ってか、そのムジョーヂンヂンと おばねぇさんのご乱心と、八っつぁん熊さんが 親爺っさんにどやしつけられたのとの三つが 全然噛み合っていないような気がしますが............
「......まぁ 人なんて生き物は、その本人が 己がどのくらい苦労してきた 努力を重ねてきたと思っていたって 到底その産んで貰った時に具わった器の外には出られない生き物なんだ。生まれもって具えていただいた器の大小 歪のそれなりに たまたまそれまで使っていなかった部分に思いや行いの届くことはあっても、生来 身に帯びていないことどもには思いも行いも至ることはないんだろうな。『三つ子の魂百まで』って云うだろ。その人間の生まれついての器の、生来の矩尺の、もう そこまでの人は 常にそこまで。それ以上も その先も望んじゃいけねぇや。むしろ無理を望んでがっかりしているこっちの方が 余程に賢くなかった って下げなんだわな。んでもってまた そう云った その器の小さく歪んだ輩程 己が器の多寡を計り違い 増長しては己が分を踏み超えちまううんざりなんだな」
......分かんねぇ、いよいよ分かんねぇ・・・・・・
「・・・・・・って、何が言いたいのか皆目見当もつかねぇ、って顔だな」
......してやったりとでも言いたげな顔で 奴はにったり笑いやがった。
......何となく間の悪い沈黙を破って、
「う〜ん、有り難いお説法は置いといてですねぇ、結局 具体的な話が 俺達あの人にどう接すれば良いんですかねぇ」
熊さんが、上目遣いで奴におずおずと聞いた。
「孫悟空が暴れているのが手に余ったからって、三蔵法師様は『お前なんかいらない』なんて言わなかったろ。この娑婆じゃ“言ったが負け”ってことだってあらぁな」
「それは 上から目線で行けって事ですか」
と 八っつぁんが聞いた。
「上からも下からも、右からも左からも前からも後ろからも。人間なんて トランプの兵隊みたいな裏と表だけの平板な生き物でないだろ。むしろ裏とも表とも前とも後ろとも着かない 微妙な凸凹や 何とも云えない陰翳に塗れた部分の方が多いくらいじゃぁねぇの。どうも あのお姉ちゃんなりに 近頃 良く解らないなんだかを悩んだり苦しんだりしているみたいだし。察するに 相談に乗ってくれる人もいないみたいだし。もう少し我慢して ほったらかして置いてあげなよ」
奴は もっともらしいことを言いながら、その実 自分でもあんまり係わりたくない様だった。
まぁ 倶楽部選手権の真っ最中だし、『既にして今から 来春の苦戦フラグが見えちゃっているような気がする』グリーンを案じているんだろうし。この上“おばねぇさん”の情緒不安定に付き合っている気になれないのも これはこれで またもっともな話かも知れなかった。
「でもねぇ、いくら悩んでいるったって、それが仕事や職場に悪く出ちゃっているのはどうなんですかねぇ。もういい年した社会人なんだからさぁ・・・・・・」
如何にも不満げなのは ついさっきも八つ当たりされては 這這の体で逃げ出してきた喜多さんだった。
「まぁ 確かに言うことも尤もだなぁ。今のままだと 些か拙い部分はあるよなぁ・・・・・・」
奴が そう言った時、ポケットの携帯電話の呼び出し音が鳴った。
「・・・・・・はいはい。・・・・・・はぁいはいはい。・・・・・・ハイハイはいはい・・・・・・良いですよこれからそっち行きますからぁ。今パッテンですから、すぐに行けますから。はいはい。はぁいはい・・・・・・」
......それは総務の番頭さんの呼び出しだそうで、奴は渋渋ハウスへと向かっていった――――――――
さぁ、最終組を追いかけてグリーンを刈り込んで、ようやくに終わる頃にはもう日没間際だった。
機械を洗って事務所に戻ってみれば......
奴はまだ中なんだか ハウスなんだか、とにかくまだ帰ってきていないようで、事務所の中は真っ暗だった。
「なんだよぉ・・・・・・」
って 電気をつけた俺は、
「......ぅわぁっ」
声をあげて 二三歩を飛び退っていた。
真っ暗だった事務所の中の、事務机のところに件の“おばねぇさん”が悄然と座っていたじゃないか。
「ああぁ、びっくりした。電気もつけないでどうしたの・・・・・・」
まだ心臓が
と、“おばねぇさん”ゆっくりと、如何にもぎこちなくその顔を上げた。
――――――――その ぎくしゃくとした、緩慢な仕種が、また如何にもアレっぽくて滅法怖かったんだが
「だって、帰ろうかと思ってケータイに電話したって誰も出ないし・・・・・・」
既に べそをかいていたんだろう。その顔も 机の上も涙と鼻水に塗れて
「ああぁ、ごめんごめん。俺もだけど、きっと みんなグリーンモア*1のエンジンの音で気が付かなかったんだよ」
「キーパーだって出やしないし・・・・・・」
大きく鼻を啜って“おばねぇさん”・・・・・・その マスカラだか アイシャドウだか知らないけど黒い縁取りを さながらピエロの化粧のように頬に滴らせながら グロスの照りの疾うに落ちた唇を歪めて言った。
「キーパーも事務方やら支配人やら、あちこちから呼び出しくらっていたから、忙しいんだって・・・・・・」
「どうせ みんな仕事で忙しいんでしょ・・・・・・」
“おばねぇさん”、今度は肩に首を埋めるようにして呻くように言った。
「・・・・・・どうせ仕事優先なんだよね・・・・・・男なんてみんなそうなんだ・・・・・・」
そうして、机に両肘を着いたまま、如何にも恨めしげに俺を上目遣いに見据えたその泣き腫らした三白眼の、その もの凄さと行ったらどうだ。
「ああぁ、ごめんごめん。これから気を付けるからさぁ。今日は用事があったなら もうあがっちゃって良いからさぁ・・・・・・ほんとにご免ね・・・・・・」
どうにか言いくるめて その場を納めようとしたその時だった。
今日の作業日報を書き終えて 奴の机の上に置きに来た八熊や弥次喜多が、俺の脇をすり抜けて事務室に入ってきたんだが......
「なんだ まだ居たの?」
「仕事終わったなら さっさと帰ればいいのに」
......奴等あんまり無神経な言葉を あんまし無邪気に投げ付けてくれたものだから、
「きぃぃぃぃぃぃ」
その瞬間、“おばねぇさん”の相貌が一変していた。
いや、人の貌って、あんなにも変わるものなのか......
後で俺達はその話だけでお腹一杯になるくらい繰り返し語り合えたんだが、その時は それどころじゃぁ無かった。
俺の目には、椅子を蹴って立ち上がった“おばねぇさん”の身体が、いつもよりも二回りも三周りも大きく見えた。
後に弥次さんは『闘気が見えた』なんて言ったが、なんせあの小父さんも“千三つの弥次”だから真偽の程は定かではないんだが......
“おばねぇさん”やにわに吼えては事務の机を両手で叩いていた。
後に喜多さんは『叩いた瞬間に衝撃波が見えた』なんて言ってるんだが これも如何にも当てにはならないし、その他 事務の机の上に手形が残っただの、髪が静電気でも帯びたように逆立っていただの、
とにかくまぁ それはそれはそれはその剣幕たるや凄まじく またその形相と怒声と打撃もとんでもないものであった事には間違いない。
薄ら寒い部屋の中に 机を叩く音が雷撃の如 ごうと響き渡った。
「手前ぇら かばち垂れんのも好い加減にしやがれ!男なんか何時もそうやって手前ぇ勝手ばっかり言いやがって・・・・・・」
その瞬間、俺達は後ろも見ずにその場を逃げ出していた。
......
「あれ?みんなどうしたえ・・・・・・」
でも 俺達はもう奴になんか頓着していられなかった。皆一散に、それこそ ものも申さずにその場を逃げ出していた。
その後のことは知らない。
なぁに、どうせ奴には 暴れん坊の孫悟空を掌で遊ばせてやるくらいの器量があるんだろうから............
この項 終り............
2009.11月号 37.みんなで団十郎だぞって・・・・・・ より付録の三つ目 とりあえず三本で締めてみましたが このくらいのペースの方が楽だよね(笑 そう云えば......何処のコースでも 事務員さんて何故だかお母さんくらいの人が多い様な気がしますが 如何でしょ(笑 まぁ、何十箇所何百箇所の事務所を伺ったわけでもありませんが、わたし伺った限りは皆 熟女(上手く云いはぐらかせぞ・笑 まぁ、実際 お母ちゃん的な人の方が あれこれ丸く収まるような気もします その昔 二十四・五の女の子が面接に来て、実際に現場仕事の方で雇う話で あれこれ調整したんですが、出社初日の朝に『ごめんなさい』された覚えもあります。実はこの娘を採用したこちらにも下心が・・・・・・ いや これはこれで また今度のネタにしましょうか(笑 |
*1:パッティンググリーン用の芝刈り機