34-3.『でも しくじるのも程程にさせてやって』なんだって.........


sibafunokuroko's website仰峰閑話second season
グリーンキーパーの野帳付録spin off



《前回を御覧でない方はこちらから............》
「だめだ、結局やり直し・・・・・・」「水は一回しくじると 後後引っ張るんだよなぁ」「あと何回こうして掘り返すんだろ」 いいじゃん二人して水も滴る良い男なんだから  「この仕事は濡れるより泥だらけなんだって(泣」





『〜〜〜〜〜〜♪』 少しは落ち着きなさいって(笑
「sibakuroか? 野郎 今までの夜郎自大ずんべらぼうがその身に祟っていてな、ここんち、、、、やうやう そのつけ払い、、、、をさせて貰っているようなもんだな・・・・・・」


キーパーibakuroが、その着任以来 始終そこに横になっては 泥の様に眠ってばかりいるソファにふんぞり返って、ここんち、、、、のコースの強面の顧問さんはそう言って 酒の匂い消しの煙草を吹かし、しかし 何時もと違う何とも云えない妙な笑みを浮かべていた。




それにしても――――――――
何だって、顧問コワモテさん 始終そうなんだが、sibakuroもそれに負けず劣らず 年がら年中酒臭い。
同門の兄弟子 弟弟子とのことだが、いったい何のどう云う師弟関係だったのやら 全く怪しい限りだった............




――――――――そう云えば
こうして話は本題からどんどん離れていくのだけれども、ここんち、、、、は今では二十七ホールのコースではあるが、そもそもは十八ホールの普通のコースだったそうだ。
バブルの頃に本社の常務が よせばいいのに九ホール増設をぶち上げて、すったもんだの挙げ句に 何とか営業に漕ぎ着けた頃にはバブルももう末期もどん詰まりだった。
おまけに 土地の取得や許認可にたいそう手こずったものだから、九ホール増設をうたっての追加の会員募集は大苦戦を強いられ、実際 資金的にも相当に苦しかったのが実情だったそうな。
おまけに 既存の十八ホールが“東南に開けた 比較的なだらかな丘陵コース”と形容されていたのに、その山の上の方にとんでもない難産の末に いざ日の目を見た九ホールの、その“無理繰りさ加減”たらなかった。何だって 西向きの斜面に それも土地の確保の問題や 行政の指導、おまけに常務の個人的な趣味も遺憾なく発揮された結果、元の設計を全く無視して無理矢理押し込んだのが見え見えだった。
そんなこんなの一切は あくまで情報筋から漏れ聞いた話だが、そのあまりのいい加減さに激高した設計の先生にはその名を出すことを断られたのみならず 今後の一切の付き合いも断られた この九ホールのおかげで、結局ここんち、、、、は 果たしてバブルの恩恵を全部吐き出し、あまつさえ会員権の値を大幅に下げたのみには足りず、ついには 近隣のコースさんの密かな笑い種になってしまっていたと云う、三重苦の聖女も涙するがごとの惨状に陥ったそうな。
で、とまれ常務念願の増設に併せて 改めて各九ホールに三種類の花木の名前がつけられたのだが、その増設分のあまりの為体ていたらくに 誰も“さくら”だの“もみじ”だの “つつじ”だのと呼びやしなかった。
パンフレットやスコアカード、会社のホームページにはそれとその名残はとどめられているものの、アウトは相変わらずアウトのままだったし インはインのまんまだった。そうして増設した九ホールにはいつか“おまけ”の烙印が押されていた。
お客さんは“おまけ”を廻らされると容赦なくクレームをつけたし、俺達も“おまけ”の仕事の段取りには身が入らなかった。
実際にクラブを担いで“おまけ”を廻ってみれば、アウトインよりも時間が掛かって スコアが悪くなって、ボールが無くなるばかりで、第一 面白みの欠片もないレイアウトのそれは 精神的にも体力的にもたいそう疲れる九ホールだった。
実際に“おまけ”に仕事で出かけてみれば、管理棟から遠くて 斜面がきつくて 仕事のし難いことこの上ない。ティからグリーンまでのスルーザグリーンは裸地だらけで 雑草と病気の巣と化している。おまけに天気が崩れる時は アウトインよりも標高の高いこの九ホールから.........やっぱり“おまけ”は精神的にも体力的にも隨分としんどい九ホールだった。




『それでもさぁ、朝のお天道様に背を押して戴いてスタートできて 夕のお天道様に見送って戴いて上がってこられるんだから、その一点に限ってはアウトインよりは“おまけ”の方が余程に理に適っているわな』
そんな嫌ったらしい“おまけ”を、sibakuroは面白がってそう云って褒めていたりもする。
やっぱり良く解らない人だった。
こう云う人を夜郎自大ずんべらぼうと云うんだか 野放図ぞろっぺぇと云うんだか、まぁ とにかく並の神経はしていないことは確かで、やっぱりこの人は“芝生のカルトsibafunokuroko”そのものであるらしいと云うことだけは確かなようだった。




「ばかぁ〜俺を生き埋めにする気かぁ?」「しょうがねぇだろ、今 焼き場が立て込んでいて空きがねぇんだから」「人柱なら sibakuro埋けちまえ」「sibakuro駄目だよ。山の神様に怒られちゃうよ」
そう云えば、この2009年の この七月は、いや 実際どうしようもないお天気続きだった。
雨量計の針の動かない日が 一ヶ月の間に十日も無い.........
もうそれだけで われわれお天気で商売する民草にはうんざりするような数字ではあるが、実際はそんなものじゃぁない。降ってなければ ドピーカンってわけじゃぁ無いだろ。むしろ その雨量計の動いていない日というのは、この七月に限っては たまたま雨量計の針が動かなかっただけの日、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、と考えるべきだ。
霧が出ていたり 今にも降り出しそうだったりしていても、雨量計の針が動かなければ その日の数字は0と出るだけ............
要するに 一月ひとつきまるまる 霧と雨に閉じ込められていた様なものだ。
この頃に限っては、普段は『ラフが・・・・・・』『刈り込みを・・・・・・』と大騒ぎする支配人もキャディマスターも、sibatami如きの顔を見てさえ『雨を何とかしろ』『霧を除けてくれ』『お日様呼んでこい』としか言わなかったものだ。
キーパー殺すにゃ刃物は要らぬ 雨の十日も降ればいい.........って、誰が云ったのか。蓋し至言ではある。
で――――――――
その頃 sibakuroはどうしていたかって?
お前sibatami 空から落っこちてくる物と 総務のマドンナには勝てねぇだろ・・・・・・』
へらへらと笑っては 相変わらずさくらと遊んで ソファで泥の様に眠りこける毎日だった。




それにしても、かつて無いお天気の悪さだった。
sibakuroに言い付けられた用足しのついでに覗いてきた百葉箱の温湿度計や地温計は 用紙が結露してインクが滲むわ垂れるわ もうどうしようもない............
「パソコン連動の気象観測システムが慾しいっすねぇ。降水量や気温地温だけでなく 日照とか風向とかも数値化してグラフにしたら・・・・・・それも旬別とか 半旬毎に折れ線グラフなんかにしたら、なんか見えてきませんかねぇ・・・・・・」
そうぼやいたsibatamiに、ソファに寝穢く寝転がったまま sibakuroは あれだけ眠りこけておいても まだ寝足りないとばかりに あくびを噛み殺しながら、如何にも面倒くさそうに 言った。
『なぁに、今のうちに散散さんざさんざ、、、に困った困ったって泣き入れたって あと一寸もすればお天気が悪かった、、、、、、、、って記憶が残っていれば上の出来になっちまうんだ。あとから記録の見直しなんかするもんか。そう云うのをいちいちひっくり返すのは マネジメントの“コース管理速報”や“The GreenKeeper 2010”の原稿を依頼されるような 熱心で腕っこき、、、、のキーパーさん方だけだよぉ。それにな、いくら数字を並べたって、数字は数字。それよりも、こういうお天気の時にコースがどうなったか。どう対処して その結果がどうだったか。果たしてそれが最善だったのか、より良い結果を出すためには何が必要で 何が足りなかったのか の、生の記憶や 現場での手控えの方が大事だろ・・・・・・』
芝生のカルトsibafunokuroko”は、やっぱりとんでもなく不遜な男だった。




「そういえば、この間の 単肥の話ですけど・・・・・・」
改めて聞いたsibatamiに、sibakuroは さも呆れた様にあくび混じりで言った。
「今回も枕だけで持ち時間潰しちまったんだから、お前sibatami二つ目どころか 前座以下だな・・・・・・」
そうして、また ソファに沈み込んでは たちどころに白河夜船を決め込んでしまっていた。




ちょうど時間となりました ってか――――――――








2009.8月号 33.みんな顔と看板で生きているのです より付録spinoffの三話目

なんだか 当初の腹積もりと全然違う方向に.........(汗

まぁ 良くあるんです。紆余曲折右顧左眄愚慮浅慮意志薄弱の挙げ句 全然違うところに着地しちゃうこと。こう云うもの書いていても 仕事でも、私生活でも.........(すみませんすみません