緑色の単車に乗っていた頃  ―― 配合カクハン ――

管理棟より









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それは、実際僕のソレまでの生涯の中で最悪の仕事だった。
汚い、暑い、臭い、目が痛い、鼻の奥が痛い、涙が止まらない、耳鳴りがする、吐き気がする・・・・・・
およそありとあらゆる人を不快にする要素を「ソレ」の中に混ぜ込んで堆積させ腐らせたモノと僕は格闘した。
格闘したっていったって、実際はペイローダーに乗っているKさんだって、普段着のママで頼まれたわけでもないのに当然のような顔をして手伝ってくれている肥料屋の親父だって、同じようにきつかっただろうし、大変だったろう。
デモ、Kさんも顔をしかめこそすれ、ナキゴトなど一言も言わなかったし、肥料屋の親父に至っては、誰にも何にも頼まれても居ないのに、自分からそこに残っていたんだ。
僕は、後になってこの時のことを思い返す度にこの人達のことを、男だったねぇ、なんて思う様になった
――――――――もっとも、そうした肉体的な苦労で泣きを入れているうちはまだ甘ちゃんだと。サイアクゥなんて云っていられるうちはまだ本当の最悪でないのだと云うことを、この何年か後にひょんなコトから転職した僕は、ソレこそ骨の髄まで、と云うほど思い知らされるコトになった。


とにかく、僕たちは、必要最小限の言葉だけで、ひたすらに体を動かした。
堆積された「ソレ」にバケットが突っ込まれてガスが吹き上がるのは、最初の何回かだけだったが、臭いだけはあいかわらずだった。
熱気は倉庫の中に籠もって、僕たちはあっという間に汗まみれになった。
汗をかいた目や鼻の周りをハエや羽虫が飛び回り、水を含んだ「ソレ」が床に落ちると、ビチャビチャとハネが飛んで僕たちの長靴や合羽を汚した。
はじめは、「ソレ」の飛沫やハネが自分にかからないように気を遣っていた僕だが、あっという間に、とにかく早く終わらせたいという、それだけしか頭の中にはなくなってしまい、もうソレこそハネもヘッタクレもなくなってしまった。
口元に巻いていたタオルがゆるんだって、汗に濡れ「ソレ」の飛沫に汚れたモノを再び巻く気にはならなかったし、頭に被っていたタオルだってゆるんでずり落ちてくればうるさいだけで、剥ぎ取って放り投げてしまったままだった。
滝のように流れる汗で合羽の中はひどく蒸れ、どうにも我慢できなくなって胸元ははだけたままになった。
ぬるぬるした床はひどく滑りやすく、僕は何度も転びかけたが、Kさんも肥料屋の親父も冷やかしも笑いもせずに黙々と作業を続けた。
汚いとか臭いとか、そんなことはもうどうでも良かった。
一回床を掻けば一回分早くこの倉庫から抜け出せる――――――――
もう頭の中にはその事しかなかった。
肥料屋の親父の、Kさんの指示のまま僕はひたすらに体を動かした。






――――――――6トンだか7トンの、腐りかけた有機物も
さしもの「それ」も、3時間近い作業の末にもとあった場所から数メートル離れた壁際に堆積され、ブルーシートで覆われて、重しの角材が何本も乗せられて、配合カクハン、は終わった。
ようやくに苦役から解放された気分で、また、どこかしら英雄的な気分もあって、意気揚々と外に出た僕は、清涼な
――――――――そう信じていた空気を吸い込もうとして、痺れたように痛む鼻が、匂いを嗅ぐという役目を果たしていないことに気がついた。
僕の後ろで、Kさんが倉庫のシャッターを閉める音がした。






「いやぁ、帰って風呂入って、ビールでもやらかすかぁ」
肥料屋の親父は、まるで何事もなかったかのように軽トラで走り去った。
洗車場で、ペイローダーに水をぶっかけて洗い流していると、遠くでキャディがワァワァと文句を垂れているのが聞こえた。
別にまだ辺りに漂う悪臭は僕たちのせいではなかったのだが、そのキャディ達の罵詈雑言は、なんだか無性に腹立たしく、そのくせ後ろめたいような、情けない気持ちにさせられるものだった。
ペイローダーを洗い終えた僕は、Kさんに促されて、軽トラに乗った。
荷台には、朝僕が着てきた作業服や靴が、多分事務のおばちゃんの手によって紙袋に入れられて乗せられていた。
管理棟から5分ほど走ると会社の独身寮があった。
僕とKさんはそこで、既に沸かされていた風呂に入って、体を洗った。
ゆっくりと湯船につかると、頭の奥がじんじんするほどに気持ちが良かった。


風呂から出て、食堂のような造りになった部屋に行ったとき、コース課で、確かその頃30前くらいだったのだろうか、まだ独身だったTさんがやってきた。
Tさん、鼻をヒクヒクさせると、ニタニタ笑って
「sibakuro、アレやったのか、アレ」
と云って、冷蔵庫を開けた。
「――――――――アレ、たまんねぇんだよなぁ、臭いが染みついちまってさぁ」
そうして、ビールを出すと、栓を抜いてKさんと僕に注いでくれた。
よく冷えたそれは、しかしいつもと違った臭いと味で、ナンにも美味くはなかった。
それでも疲労困憊していた僕は、注がれるままに何倍かを飲み干した。
それが、この仕事をやった人間に許されることなのか、3人で何本かのビールを空けた後Kさんは管理棟の戻るそぶりも見せずに、ソファに深く腰掛けると、しばらくしてウトウトとし始めた。
僕も、急に回り出した酔いに任せてしばらく微睡んだ。


Kさんと僕が管理棟に戻ったときにはもう他の従業員の昼食の時間は過ぎており、僕とKさんが従業員食堂に入ると、厨房のおばちゃん達が待ちかねたようにお昼を出してくれた。
ご飯は大盛りだし、おかずもいつもより大盛りだった。
――――――――でも僕は、なんだか胸が詰まってしまっていて、みそ汁を飲み干しただけで、そのほとんどに手を付けられなかった。
その頃には、ようやく嗅覚も元に戻りだしており、自分の体がまだ異臭に染まっていることが知れた。
石けんの香りと混じって立ち上るその香りとも臭いとも云えないモノは、ひどく不快で気を滅入らせた。


そうして食事を終え、さらに一休みをして、出役していないダンプを洗ったりして一日を終え、僕は日報に「配合カクハン」とだけ書いて帰宅した。


帰宅すれば、僕の作業服は、体に染みついていた異臭が移って、他の洗濯物と一緒には洗えなかったし
――――――――アンタ一体ナニしてきたの、夕食の支度をしていた母親は、僕に風呂にはいれの、洗濯物を別にして洗わなければならないのと、大騒ぎをした。
その晩僕は、ロクに夕食も食べられずに酒ばかりを飲んで、大酔して床についた。


翌日も早朝、二日酔いの痛む頭を堪えて緑色の単車を自宅から100メートルほど離れた国道まで
――――――――何せ、交換したレース用のマフラーは、早朝にエンジンに火を入れるにはあまりにうるさすぎたので
緩い下り坂を利用してエンジンをかけぬままに下った僕は、道ばたでシートにまたがるとセルを回した。
乾いた排気音が、早朝の冷えた空気と相まって僕の気持ちを高揚させた。
二日酔いの頭も、その乾いた排気音を聞くと幾分は楽になった。
気持ちはもう、管理棟の手前にあるほんの短い峠道風の区間のことで一杯だった。
そうして、幾分芝居がかった仕草で、小脇に抱えていた、先日大枚をはたいてようやくに買ったお気に入りの白いヘルメットを被った。
被って、ぼくはひどく惨めな気分に、どん底まで落ち込むような惨めな気持ちになっていた。
ヘルメットの中は、昨日の「アレ」の臭いが、まだうっすらと残っていた。
その日くらいミジメな気分であの緑の単車を走らせたことは、今までなかったかも知れない。