緑色の単車に乗っていた頃  ―― 配合カクハン ――

おなじみの光景を









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後になって教えられたことなのだが、「それ」の正体は作りかけて放置されたままだった、有機質を発酵させて作る肥料だった。
堆肥とか、ボカシ、などという言い方もするが
――――――――厳密に云うと堆肥ってのは、ボカシってのは・・・・・・
なんて長くなるので、それ以上は割愛しよう。
まぁ、きわめて大雑把に言うと、鶏糞や菜種粕、魚粕、骨粉、発酵させる微生物の種といったものを「配合」して発酵させて作る肥料を、このコースでは単純に「配合」と呼んでいて、それを切り返す=カクハンする、と云うのが、今日の僕の仕事であった。
それはともかく、このての肥料というのは、まめに切り返して新鮮な空気を入れて、水分の調整や温度管理をしてやらないと、嫌気性の細菌がはびこってしまう。
もっと身近な言葉で表現すると、ズバリ腐ってしまうのだ。
――――――――そう
今、戸口で鼻をつまんでへらへら笑っているキーパーが、大分前に意気込んで買い込み作り始めた材料は、ロクに手をかけられないままに放置され、腐りかけていたのだ。
その量たるや、合計で六トンだか七トンだか・・・・・・。


あのぉ――――――――
六トンの腐りかけた有機物のを前に、僕は肥料屋の親父に何とも間抜けなコトを聞いた。
――――――――素手でさわってたけど、臭くないッすか
肥料屋の親父、にたぁっと笑った。
「臭ぇに決まってるだろぉ、腐らせちまったんだからヨォ。しょうがねぇだろ、臭ぇものは臭ぇんだよ」
あまりにあっけらかんとした答えに、面食らった僕を尻目に親父はキーパーに言った。
「水ぶっかけて切り返せば、また温度上がるだろうから、やってみると良いよ。まぁ、一度こんなにしちゃったんだから、大したモンにはならねぇかも知れねぇけどヨォ」


それもまた、その後の話だが――――――――
この後僕は、戦後いくつものゴルフコースの造成に携わり、幾多のコースでグリーンキーパーや支配人といった第一線に立って叩き上げた人の手ほどきを受けて、コースの仕事に興味を持つようになる。
その、僕の先生から教わったコトの一つに、堆肥とかボカシと云われる、きちんとした発酵過程を経た良質の有機質肥料の使い方があった。
だから今では僕も、この手の有機質肥料は大好きだし、もし機会があったら自分でも作ってみたいくらいだ。
まぁ、このあたりは、やたらと長くなるし別の話にもなるので、またの機会があったらと云うことにしようか。


――――――――でサ
肥料屋の親父の言葉を聞いたキーパーは、僕とKさんに
「そう云うことだから、悪ぃけど、ちゃっちゃっとやっつけてくれや」
なんて気軽にいいやがった。
僕は、こめかみのあたりに重ったるい寒気を覚えて、そこに立ちつくした。






かくて、かなり換気が進んで殺人的な臭気の薄まった薄暗い倉庫に、Kさんの乗ったペイローダーがエンジンの音も高らかに入ってくることとなった。
もしかして、中止にならないか、なんて云う僕のわずかな望みもむなしく作業は始められた。
意気消沈したままの僕は、肥料屋の親父に教えられて壁際に積まれた「それ」に、ホースから水をかけていたのだが、
「sibakuroぉ、ちょっと下がってろぉ」
Kさんはそう言いながら僕が退くのも待たずに、「それ」に向かってペイローダーのバケットを突っ込んだ。
その瞬間僕の目の前が真っ白になった。
「それ」の山から吹き出した熱気の籠もったガスが、あたりに舞った。
嘘ではなく、僕の耳はガスが吹き出すときの、ボフッ、とか、ボムゥ、と云った鈍い音を聞いていた。
ペイローダーのバケットが「それ」の山に突っ込まれた瞬間、ゥワァァンという凄まじい羽音とともに「それ」にたかっていた羽虫やらナニやらが飛び散ったが、それよりも早く、僕は脱兎のごとく肥料倉庫から逃げ出していた。
――――――――僕は、そのガスをまともに浴びてしまっていた


倉庫から飛び出した僕は、うずくまって激しく咳き込んだ。
涙がボロボロこぼれ、鼻水が止まらなかった。
胃のあたりがひどくムカムカして、いっそ戻してしまった方が楽ではないかと思った。
「・・・・・・おぉい、アンちゃん。早く帰ってこいヨォ」
耳鳴りの向こうで、肥料屋の親父がゲラゲラ笑いながら僕を呼んでいた。
――――――――冗談じゃぁねぇ
こんな段取りを僕に押しつけたキーパーのことを、いきなりバケットを「アレ」に突っ込んだKさんを、そしてそもそもの「アレ」を・・・・・・
全てのことどもを呪いながら、それでも僕は何故かその肥料屋の親父の言葉には逆らえずに、再び悪臭の立ちこめる事となった肥料倉庫へトボトボと戻った。


「配合カクハン」ってのは、「それ」が積み上げてある場所から、ペイローダーで掬った「それ」を、別の場所でバケットを高く上げて、大きく揺らして空気を入れながら落として堆積し直す作業だ。
僕の役目は「それ」に水をかけたり、ペイローダーの掬い残しをスコップで掻き取ったりする、手元の役だった。
肥料屋の親父は、普段事務所に来てキーパーとダベって居る時そのままの、作業服にズック。素手で、顔も何にも覆わないで平然と僕に、
「次はそこの乾いてるところに水かけて・・・・・・」
「俺水くれてるから、そっち引っ掻いて・・・・・・」
みたいに僕に次々に指示をよこした。
そこからはもうやけくそだった。
何せ、バケットが「それ」に突っ込まれる度に白いガスが吹き出して、目の痛みや、耳鳴り、頭痛がいや増すのだ。
臭いは――――――――
実はこのあたりではもう臭いと云うよりは、鼻の奥に痛みを覚えるだけになっていた。
それに僕には、とにかくやっつけちまわなければ終わらないんだ、と云うことが身に染みて理解できたれば、もうグズを垂れている場合ではなかった。
それに、この臭いと熱気と、無数に舞い飛ぶ虫の中、顔色一つ替えずに作業を手伝ってくれている肥料屋の親父に、僕は何故か絶大なる信頼感を覚えていた。
――――――――おっちゃんが言うなら、やったらぁ
みたいなノリで、僕は汗みずくになってホースを引きずり、スコップを振るった。