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- 樹種の転換
- 常緑針葉樹の伐採
- 落葉広葉樹の植栽
- 案分として、常緑樹10本の伐採で広葉樹1本を植栽する
- 常緑針葉樹ばかりで構成された林帯は、暗く・硬く・冷たく・重い印象を与えてしまいます。常緑樹の林帯を透かす・変化をつける、などをするとともに、落葉広葉樹を植栽して、明るく・柔らかく・暖かく・軽やかなイメージを持たせます。
- 〔コース内の樹種の転換〕というと、いかにも大仰ですが、ポイントポイントを効果的に押さえてゆくと、大騒ぎをするほどのことでも・・・・・・。それでも、四・五年はかかりますか。でも、やらなければ結果は手に入れられませんので、『出来ることからこつこつと』とか『ひるまぬ精神たゆまぬ努力』とか云われる、
あれ しかないようです。
- 景観の改善
- 常緑針葉樹と落葉広葉樹の量的・質的なバランス
- 背景(壁・視界の限界点)としての常緑針葉樹と、その前に点在・散在する(修景・奥行き感・行動の範囲や限界の指標)としての落葉広葉樹の配置・存在
- 落葉広葉樹ばかりでは、今度は光景に
ゆるみ が生じます。常緑針葉樹の樹林や樹群は、壁や固まりのイメージとして捉えられるであろう事を勘案して、行動や視界の限界としての常緑樹群 = 〔壁〕の前に、紅葉樹を点在、散在させることによって、奥行きを感じ(錯覚)させたり、〔壁〕 = 冷たく、拒絶するイメージを和らげたりします。- 要するに、物事はすべからく〔バランス〕の上に成り立ちますので、施工する〔点〕〔線〕〔域〕の樹種のバランスを考えて、ひたすらに想像し、施工しながらイメージを修正して、計画に反映させてゆきます。そういう意味で、ひとつの現場を四年五年かけて弄くっていける環境にあるsibakuroは、非常に幸せ者ですよね。
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- 景観・修景の範囲は、コース外の視界の範囲全てにおいて考慮する
- 平坦なコースに於いては、人間の視界は水平方向に加えて前方の仰角・俯角ともに30°程度であろうが、山岳コースに於いては遙かに高く仰角と深い俯角となる(遙かに立体的な視点を持ってコースを観ている)上、後方へ振り返ることも高低差の大きなコースほど頻度が高いような印象があるが、如何か
- これは、云ってみれば〔山岳コース〕の有利な面です。〔山岳コース〕においては人間の視界は、水平方向だけではなく仰角や俯角を伴います。おまけに、傾斜の上に立つと云うことは、目の前の視覚を遮るもの(木・林帯)が無ければ、より遠くへと視界が広がりますから、「この藪を切り開けば御山が見えるようになるぜぇ」といった作業や、コース外周の山々の新緑や紅葉を意識しながらの計画や作業が成立しうるわけです。そこから、コースの外側の山々や、さらに、遙か遠方の海や岬までもが味方になってくれるんですね。
- 転じて、コースの中においても、ちょっと高いところにあるホールの藪を切り払ったら、となりの、その又隣のホールまで見渡せちゃった、なんてぇ、サプライズもありますし、そういう意外性は、仕事をしていて実に楽しいものです。
- 人間の視覚や行動の癖を想像・利用する
- 壁(視界が遮られる存在)に意識をやらない
- 林や樹群を距離を置いて眺める時は、多少樹種が不揃いでも一つの固まりとしてしか見ていない
- 少しでも隙間があると覗きたくなる
- なんにもないと反ってさみしく感ずる
- 〔チラリズム〕なんて考え方も
あり - 街角の工事中のビルの目隠しに建てられた壁面に描かれた絵が印象に残らないどころか、意識さえもして貰えないように、人間て〔壁〕にはそうそう意識を飛ばしません。そのわりに、隙間や節穴は、みんな好きですよね(笑
もろ に見えちゃっているものは最初のうちは喜んで見ていますが、すぐに飽きてしまって、そのくせ翻ったスカートやカーテンの向こうに一瞬垣間見えるもの なんか、目をやらずにいられない(爆 狭いところに閉じこめられると苛つくくせに、だだっ広い野原にぽつんと置かれるとさみしかったりもして・・・・・・。そんな人間の意識の働きに訴えかけようと。
- 街角の工事中のビルの目隠しに建てられた壁面に描かれた絵が印象に残らないどころか、意識さえもして貰えないように、人間て〔壁〕にはそうそう意識を飛ばしません。そのわりに、隙間や節穴は、みんな好きですよね(笑
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- 一列に並んだ木(植林・人工林の直線的な配置)は、視覚上では〔壁〕として冷たいイメージで捉えてしまう = 林や樹群の視点の置かれるラインがジグザグ(不規則な出入りがあった方が)より自然な(暖かみのある)林帯・樹群として捉えられる
- 視界を遮る木や樹群も、視点(人間)が移動したときのテンポ・リズム(見えたり見えなかったりの繰り返し)によっては、逆に可視部分を強調したり、意識下への刷り込みをするのに有効な存在である
- 要するに、居心地の良い空間てのは、平板・単調な場ではなく、ほどよい変化があり、心地よいテンポやリズムを感じさせる場ではないでしょうか。四方を平板な塀で囲まれていると、まるで
ぶち込まれた 様な気分になってしまうかも知れませんし、反対になんにもない場所では心細くなってしまう・・・・・・。所詮、人間なんてわがままで、はかない存在ですから、なんかしらよりどころ を欲しがっているのかも知れません。 - 乗用のカートに乗って、あるいは歩いていて、ただ
のんべんだらり と景色が見えるよりも、向こうの景色が見えたり遮られたり・・・・・・、そんなある種のリズムがあったほうが、人間の意識には残りやすいのかと。向こうの景色が断続的に立木や十分に遮られて、見える・遮られる・見える・遮られる。そんなリズムが生まれると、プレーに夢中になっている人の意識を一瞬でもプレーから引っぺがすことが出来て、何かしらの記憶・印象を残せるのではないか、と思います。
- 要するに、居心地の良い空間てのは、平板・単調な場ではなく、ほどよい変化があり、心地よいテンポやリズムを感じさせる場ではないでしょうか。四方を平板な塀で囲まれていると、まるで
これ以降は、もう技術論というか、各論というか。戦略・戦術論と云うより、戦闘論に近いかもしれません。もう、読んでいただいたまま。人間て、目に入っているのに
- 人間の視覚や行動の癖を想像・利用する(続き)
- 突出した色・形(深緑の常緑樹の中に孤立する紅葉樹、針葉樹の三角錐の樹形の中の丸い広葉樹の樹形など)に視線が注がれがちである
- 点在して孤立する大木はこちらが思うほど意識に残らない
- 尖ったもの・形は警戒心を生みやすく、丸い形には警戒心を弛めがちになる
- 人間て、尖ったものや飛び出しているものに意識を向けるくせがありますよね。極端になると〔先端恐怖症〕として顕れる事もあるようですが。そのくせ、丸いかたちのものは、爆弾だって可愛らしく受け取ったりも・・・・・・、しないかな(笑
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- サプライズ(たとえば、突然視界が開けたりする)は記憶に良く残る
- その一方で、同じ刺激には、それがどんな絶景であってもすぐに厭きる
- たとえば、規則正しく並んでいる並木が、時々とぎれては、遠くの海や山が見えたりすると。常緑樹の林帯の中に紅葉した木が紛れていると、それだけで印象に残ります。そうやって一定のリズムで流れているものを、ぽーんと崩してやる。その崩し方が、崩された方によい崩し方となるか、どうかが、腕の見せ所なんですがね。余りやりすぎても、慣れてしまいますから、その塩梅が難しいところです。
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- 短いスカートの似合う子・似合わない子を見極める
- たとえば、枝打ちの高さを決める時に―――――――― 一本の木であれば、幹を三分の一見せて、枝葉を三分の二残すという、まぁ、云ってみれば〔三分の二理論〕がsibakuroの原則なんですが、状況によっては、ツクシのように見える高さまで枝をはらいますし、ほとんど地べたすれすれまで枝を残しておくこともあります。すべては、ケースバイケース。一律に、
こうすればいい と云うものでも無いようです。「あそこの枝を打っておくれよ」って段取りを伝える時に「くりくりになるまで高くうっちゃって良いやぁ」とか、「ちょいと低めに、裾を残しておいておくれよ」なんてのは、逐一注文をつけて置く勘所 ですよね。 - 転じて、林帯にチェーンソーを担いで入っても、透かすように伐るのか、樹群として残すように伐るのかも、これも又ケースバイケース。まぁ、その時々のsibakuroの中の
トレンド 、もあるんですが。――――――――要するに〔気分次第〕でもありますが・・・・・・
- たとえば、枝打ちの高さを決める時に―――――――― 一本の木であれば、幹を三分の一見せて、枝葉を三分の二残すという、まぁ、云ってみれば〔三分の二理論〕がsibakuroの原則なんですが、状況によっては、ツクシのように見える高さまで枝をはらいますし、ほとんど地べたすれすれまで枝を残しておくこともあります。すべては、ケースバイケース。一律に、
- 短いスカートの似合う子・似合わない子を見極める
そして最後に――――――――
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- コース内の植栽は、余程印象に残る要素がない限りは、意識下に漠然とした印象で残っても、明確な記憶としては残りにくい(まず残らない)=手入れをしてあって当然で、手入れをしないと悪い印象が残ってしまう
などなどです。
まぁ、全部が全部sibakuroのオリジナルではありません。
別に心理学とかを修めているわけでもありませんので、『人間の心理』なんて偉そうに云ったって、全然的はずれかも知れませんし。
でも、まぁ、最近は――――――――
あちこちで読んだり伺ったりしてきたことどもも併せて、
と、いうことで。
――――――――芝生の管理でも、この位明確なイメージ=方針が組み立てられたらなぁ、なんてことも思いますが(笑
Bゴルフ倶楽部は、あと何年かこの調子でやらせて貰えれば・・・・・・
なんて思いますが、一方でGゴルフ倶楽部は、
まだ当分、伐る方優先かな、
と。
Bゴルフ倶楽部は、この冬(17-18年)は、植えることを考えながらの作業を、かなり大きな〔域〕として行えましたが、Gゴルフ倶楽部はまだ〔点〕や〔線〕のレベルです。ピンポイントで伐った跡ににぼちぼち花木を植えながら様子を見ていって、本格的に植える事を考えながら、〔域〕をイメージしながら伐り始めるのは二・三年後かなぁ、なんて考えています。
――――――――まぁ、どっちにしても、最近は
昨年の秋からこの春の初めは、sibakuro、背中や肩の張りに悩まされながら、そんなことを反芻しつつ、林の中を〔スズランテープ〕片手に彷徨っておりました。
来年の冬は、何を考えながら、何をしているのでしょうか。