緑色の単車に乗っていた頃  ―― 配合カクハン ――

朝明るくなるのが大分遅くなりました







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それは――――――――
僕が今より大分若くて、体力はずっとあって、今よりもはるかに世間知らずで生意気な若造だった頃の話だ。
その頃僕は、今よりはずっと平らで、距離はもう少しあって、今よりはずっと幅のあるゴルフコースの、コース管理課の一人工の使いっ走りだった。
その頃の僕の生活は、またがって走らせるタイヤが前後に一つずつしかない乗り物で、舗装されて曲がりくねった山道をいかにして転ばないで走るか、と云うこと一点に集約されていた。
実際僕の安月給は、ガソリン代とオイル代とタイヤ代と、交換すればきっともっと早く走れる様になるだろうという幻想を無知で無謀な馬鹿者に抱かせる罪作りな部品の購入費と、幻想を現実に置き換えようとした結果、修理交換しなければならなくなった部品の購入費で――――――――
要するに、僕は、時間と有り金の全てを、中古の緑色の単車につぎ込んでいるコース課のアンちゃんだった。


――――――――そしてそれは、僕がそのコースに社員として勤めだして、まだ一月か二月しかたっていない頃のことだった。
ゴルフコースのコース課の朝は早い。
その日も僕は、そのお気に入りの単車で管理棟の横に乗り付けると、タイムレコーダーを打刻して朝の段取りを見た。
グリーンの刈込は、朝のいつものメニューだった。
その後の、今日の日中の段取りが、僕には理解できなかった。


そもそもが、学生時代にはいくつかのコース課で夏休みや春休みなどのアルバイトでさんざんにこき使われてきて、たまたま就職は全然別の商売に手を染めたが、はっきり云って性に合わずに早々にして辞めてしまった僕だった。
小遣い稼ぎのつもりでアルバイトを・・・・・・、とたまたま顔を出したその日に、成り行きでここへの就職が決定し、次の日の朝のグリーン刈りに組み込まれていた僕だ。
であれば、ほぼコースの仕事の一通りは分かったつもりになっていたし、事実一番アルバイトをしていた期間の長かったこのコースであれば
――――――――他にもいくつかのコースで、ご迷惑をおかけしてきたのですが・・・・・・
ダイタイのことは知っているつもりでいた。


それが、今日の段取りは、初めてのモノだった。
配合カクハン     K
           sibakuro
と書かれたその「配合」というのが、分からなかった。
――――――――これ、なんのこと。ナニをカクハンするの
周囲のおじさん達に聞いてもみなニヤニヤするばかりで、何も教えてくれない。
キーパーも、ニタニタするだけで
「とにかくグリーン刈ってこい。話はその後だ」
なんて云うばかりだった。
ただ、一緒に作業をするKさんが、苦虫をかみつぶしたような顔をしているのと、事務のおばちゃんが、
「sibakuro君に合う大きなツナギなんか無いですヨォ・・・・・・」
なんて云いながら、古い作業着やらタオルやらをしまってあるロッカーを漁っているのが、僕の嫌な気持ちを増幅させた。


グリーンの刈込を終えて、機械を洗って管理棟に戻ると、僕の机の上には、洗いざらしの色あせたツナギとごわごわのタオルが何本か置いてあった。
コレに着替えろってコトか?
誰もナニも説明もしてくれなければ教えてもくれないので、とりあえず椅子に座ってボウッとしていると、ツナギに着替えて首にタオルをがっちり巻いて長靴を履いたKさんがやってきた。
「オウ、sibakuro、早く着替えて肥料倉庫に来いヨ。それから、カッパ、着て来いよ」
それだけ云うとKさんは足早に管理棟を出て行った。


仕方なく僕は机の上にあったツナギに着替えた。
――――――――ソレはひどく小さかった。
窮屈なんてもんじゃぁない。
つり上がった股のところで急所は締め付けられるし、ファスナーを上げれば首が絞められるようで、袖も裾もつんつるてんだった。
長靴を履いてみたが、裾は二三歩歩くだけで長靴から出てきてしまうし、あいかわらず急所はグリグリと痛いしで、僕の士気ははなはだ低いと云わざるをえなかった。
その日は結構気温も高かったのだが、Kさんに言われたとおりに、僕はのろのろとカッパも着込むと、管理棟の敷地の端っこにある大きな肥料倉庫に向かった。


肥料倉庫は、何百袋も買い込むような化成肥料を摘んでおくようなところと、普段余り使わない土壌改良材なんかや、大型のトラクターなんかが入っているところ。
そうして普段はシャッターが閉められていて、僕などは一度も入ったことがないところ
――――――――普段はそんなことは気にもとめていなかったが
の3つに分けられていて、今日は何故か、普段は締め切られているはずの一日中木の陰で日の当たらない一番端のシャッターが開いていた。
中は薄暗く、まだ20メートルくらいは離れているのに、既にあたりには異様な臭気が漂っていた。
その、妙に熱の籠もった様な匂いは、明らかにその開け放たれたシャッターの奥から漏れ広がっていた。
立ち止まった僕の項のあたりがゾクゾクとした。
匂いだけで寒気を覚えるなんてコトは、それまでに経験したことがなかった。


「sibakuroぉ、さっさと片付けッちまうから、はやく来いヨォ」
薄暗い倉庫の中からKさんが顔を出した。
――――――――顔ったって、顔なんか見えなかった。
タオルを口元に巻き、頭にもかぶり、カッパのフードを被ったその姿に、僕はたじろいだ。
それでも、普段Kさんにはいろいろ教えて貰っていたので、嫌とも云えずに僕は重い足を踏み出した。


倉庫に近づくに付け、その匂いはきつくなり、なんだか目にも染みてきたような気がした。
鼻の奥が痛くなり、ゾクゾクとした寒気は一層強くなった。
「ねぇ、コース課がアレヤルみたいだヨォ」
遠くの方で空のカートを押しながら、何人かのキャディが悲鳴を上げて逃げていった。
「バカ、お前、そんな格好じゃぁだめだ。とにかく隠せるだけ隠さないと――――――――」
僕がおそるおそる倉庫の入り口に立ったときに、Kさんが言った。
――――――――僕の、涙でぼやけ始めて距離感を失い始めた視界の先に、それは、あった。