sibakuroの霜夜狸

足跡点々…………







ああぁ、寒い寒い。いやぁ、こう寒くっちゃぁかなわねぇよぉ。ああぁあ、嫌だ嫌だ。寒いのだけはどうにも我慢ができねぇや。まぁ、暑けりゃぁ暑いで、また嫌だ嫌だって云うんだけどなぁ。それでも最近寒さが身に染みるってのが、妙に身に迫ってきたよなぁ・・・・・・・・・
よぉしよし、ストーブに火も入ぇったし・・・・・・・・・ああぁ、火は良いなぁ・・・・・・・・・ったく、出くわす筈もねぇのに亥の公追い掛けて、コースん中ふらふら廻っていたらこんな時間だよ。けつも腰も・・・・・・・・・ああぁあ、いてててて・・・・・・・・・ちくしょう、今から家に帰ぇったってなぁ・・・・・・・・・いいかぁ、このまんま一杯引っかけて、寝ちまうか・・・・・・・・・そういや、確か、正月の御神酒の残りがあったよぉな・・・・・・・・・





・・・・・・・・・へっ、へへへへへ、あったあった。何だって瓶に手が張り付きそうなくらいに冷えてやがる。どれどれ、・・・・・・・・・、んっ、ん、ああぁ、いや旨ぇやこりゃぁ、火の前だと凍りそうな冷や酒だって、・・・・・・・・・いやぁ甘露甘露、
「こんばんは・・・・・・・・・」
いや、良い酒だ。こんな良いのぉ、義理ばった御神酒で飲ませるなぁもったいねぇや。働いている人がいただいてこその御酒ごしゅですよ、と。んっ、んっ・・・・・・・・・
「あの、こんばんは・・・・・・・・・」
何だよ、さっきからうるせぇ奴だな。こんな真夜中にコースの事務所に来る頓狂なのは、ぜんてぇ、どこのどいつだ・・・・・・・・・
どちら様。狐か兎か、まさかに猪だったら願い下げですよ、
「あたし、上のお山の狸でございます」
言うに事欠いて狸だとぉ。嘘つけ、このぉ。
「本当でございます。今夜はまた一段と寒くって、風も身を切るみたいに冷たくって・・・・・・・・・できることなら、あたしも暖まらせて貰えないかと思いましてね。こうして声を掛けさして貰ったんですが・・・・・・・・・ついでといっちゃぁなんですが、狸の姿のままでしたらなんですから、貴方のお好きな姿でお邪魔いたしましたが、こんなのは如何でしょう」
へぇ、上の山の狸が化けて出て見せる、てんだな。いいやぁ、戸ぉ開けてぇって来てみろ。上手く化けて出たら御神酒の一口もくれてやるけどな。その代わり、人を化かそうとでもしやがったら、その場で叩き出すからそのつもりでいろ、
「こわいこわい。じゃぁ、入らせていただきますが、相すいませんが、お前様二つほど手を叩いてくださいませんか」
手を二ぁつ、って神棚の前でもあるまいによぉ、ぽんぽんと・・・・・・・・・こう、これでいいのかえ、
「はい、ありがとうございます。じゃぁ、遠慮無くお邪魔さして貰います。・・・・・・・・・はい、御免下さいな・・・・・・・・・ああぁ、中に入っただけでこんなにぬくいんだねぇ・・・・・・・・・あれ、なんですよぉ、お前様そんな馬鹿口開けて・・・・・・・・・」
お、お前ぇ、が、た・ぬき?なんで、狸さんが、そのなり、なのかな・・・・・・・・・
「年増の、黄八丈を徒に着崩した飲み屋の女将さんがお好きでござんしょ。疑うなら、尾っぽを出してご覧に入れましょうかねぇ、ほ・ほほほほ・・・・・・・・・」




「ああぁ、良いお酒ですこと」
いや姐ぇさん、いい飲みっぷりですねぇ。さ、もうおひとつ飲ってください、
「何言ってるんですよぉ、あたしがついであげますから、お前様もお飲みなさいな。あたしゃぁ、一晩の居候なんですから。さぁさ・・・・・・・・・でも、夜引いて猪の番をして、こんな時間になっちまって。明日の朝も早いから帰るに帰れないなんて、キーパーなんてのも因果な商売ですねぇ、はいもうおひとつ・・・・・・・・・」
ああぁ、もうひとつ下さる。いや、すいませんね・・・・・・・・・ああぁ旨ぇ。いやねぇ、亥の公に入られないようにって、コースのぐるりを電気の柵と網とで二重に囲ってあるんですけどねぇ、ちょっとした隙間から入られちまったみたいでね。入られちゃったら今度は囲い込んじゃって牧場みたいなことになっちゃいますんでねぇ、なかなか出ていってくれやしませんや・・・・・・・・・
「でも、今夜あたりでもう河岸を変えるって云ってましたよ」
へっ、そうなんですか、
「だって、あの亥のさん、顔見知りですものぉ。さっきすれ違ったときに向こうからおいとまの挨拶しに来たんですから、本当でしょうよ」
そうか、いけねぇ。姐ぇさん上の山の古狸だった、
「古だけ余計ですよ、はい、もうひとつ。ほほほ・・・・・・・・・」
はいはい。じゃぁ、古のとれた姐ぇさんも、もうおひとつ、
「ああ、ありがと。・・・・・・・・・ああぁ、火も暖かいし、すっかりいい心持ちだこと・・・・・・・・・んもう、なんですよぉ。いやですよ、そんなにしげしげ見たりしちゃぁ」
だって、姐ぇさんさぁ。本当に、狸にしておくのはもったいないくらい艶っぽいんだもの。こう湯飲みを煽ったのど元とか、さぁ。いや、実にいい年増っぷりだわ、
「馬鹿いっちゃぁいけませんよ。ほ・ほほほ、そういやぁ大昔、同じようなこと言った人もいましたけどねぇ」
やっぱり、こんな風の夜に、コースの事務所にキーパーをたぶらかしに出たんですかえ、
「厭な云い方をおしだねぇ。大昔、上のゴルフ場を造っている時分に、現場事務所にお邪魔したこともあったんですよ。その晩も、そりゃぁ寒い晩でしたねぇ」
居残りで独りで飲ってた現場監督と、大島の紬の狸で明け方まで飲み明かした、とか・・・・・・・・・
「いやだ、知ってたんですか。お前様も随分と、にんの悪いこと」
へぇ。そう云う姐ぇさんだって、相当にたぬがお悪い、
たぬが悪いこと無いじゃぁありませんか、ほほほほほ・・・・・・・・・」
いや、最前ご馳走になったときにね、その現場の監督がぁ、ここだけの話で言ってたんですよ。酔いに任せてついついおかしな気分になりかけたら、相方の狸も酔っぱらっちゃっているもんだから、目の前の大島のでかい尻から尾っぽがはみ出していて、それ見たら、妙な気分も吹っ飛んじゃったって・・・・・・・・・
「ほ、ほほほほ・・・・・・・・・いやですよぉ、ほほほほ・・・・・・・・・」





「ほら、もう一つおやりよ」
ああぁ、いただきます。 いやしかし、そりゃぁまた古い話じゃぁないですか、
「そりゃそうですよ、上のゴルフ場を作る前のことですもの。その頃はあのあたり一面のかやの原でしてねぇ。箱尺って云うんですか、あの目盛りを振った長いのやら、測量の覗くのぉ担いで、皆さん茅をかき分けてきて・・・・・・・・・」
そうして、測量に来たところを、姐ぇさんも猪と一緒になって脅かして遊んでいたんですね、
「ふ、ふふふ・・・・・・・・・そうなんですよ、あのころは、上のお山には、そりゃぁ大きな主がいましてねぇ。随分と暴れ回っていたもんさ」
その話もねぇ、聞いたことがあるんですよぉ。測量に行くたんびに猪が出てくるもんだから、みんな怖がっていきたがらなくなっちゃった。しょうがねぇってんで、監督その頃の子飼いの連中を連れて自分で箱尺担いで山に入ったんだけど、自分も何回猪に突っかけられたかって。何せ一面に人の背丈よりも高い茅が茂っていて、測量しようにも見通しがきかねぇ。茅を払ったり薙いだりして、やっとこさ測量していると、そのあたりががさがさいいだすから、また来るかっ、そっちから来るのかって身構えていると、いきなり後ろから小山みてぇに大きな猪が突っかけてくるんだって・・・・・・・・・
「その監督さんの周りでがさがさやっているのが、あたしたちだったんですよぉ。そりゃぁ、あたしたちががさがさやり始めると、皆さんもう青い顔して、へっぴり腰になっちゃって。ふっ、ふふふふ、今思い出しても、ふふふ、終いにあの主に追い回されて逃げる格好って云ったら、ほほ・ほほほほほ・・・・・・・・・」
そりゃぁ、逃げる方は必死ですよ。猪に追いかけられたら、なりふり構ってる暇なんか無いに決まってるでしょうに、
「そりゃぁ、お前そうだよねぇ、ほほほ・・・・・・・・・」
その時の監督、まだ言ってますよ。『世の中に、山よりでかいししはいねぇ』って。よっぽどその時にやぁ怖かったんでしょうねぇ、
「ほっ、ほほほほほ。まぁ、お前、もう一口おやりよ」
ああぁ、いや、すっかり廻ってきちまったよ。
「なんだい、意気地のないこと。そう云えば、十何年も前のことだけど、酔っぱらったコースの人たちが上へ下へって猪を追い掛けたこともあったねぇ」
あれですか。子連れの猪の何十頭の群れが上と下のコースを荒らし回って、それをコース課が夜引いて追いかけ回したって、あれですかえ、
「そぅだよ、あれも面白かったねぇ。コースの人たちが、ジープやトラックで二手に分かれて、無線機持ってね。『上に出たぞぉ』『下に出たぞぉ』って、大騒ぎしながら、コースの中走り回ってるんだよぉ。猪は猪で、『まぁた酔っぱらいが来やがった』って、面倒くさがりながら上に登ったり下に降りたりしているし、ねぇ。」
コースの人間が上に行くと猪が下に出て、それってんで下に行くと、今度は上に出る。って、いたちごっこだったって奴ね、
「そうなのよぉ、始めのうちは猪の連中も、さぁ人間が来たから下に逃げるぞ、って下だ上だって走っていたんだけど、そのうちに、『まぁた、酔っぱらいが来ると煩くてしかたないから、そろそろ上に行こうか』とか言ってるんだよぉ。で、上に行ってみたら、『何だよ、酔っぱらいども今出掛けるところかよ。しょろしょろしてるんじゃぁねぇよ』とか呆れちゃってるの。あたし達が見ていて、終いには酔っぱらいが猪を追い掛けているんだか、猪が酔っぱらいを追い掛けているんだか判りゃぁしないんだから」
ああぁ、それねぇ。その時のキーパーに、夜回りをやる手当を出す代わりにコースの売店の物を飲んだり喰ったりして良いからやってくれ、って云われて、みんな調子に乗って相当派手にやらかしてたらしいんですよ。何せ一晩で売店の売り物を全部平らげちゃうもんだから、三日目くらいにハウスから、『いかにしても飲み喰いのしすぎだ』ってこっぴどく叱られて、夜回りを止めさせられちゃったって聞いてます、
「ほ、ほほほほほ、だって、コース廻っているよりも、売店で飲めや喰えやって騒いでいる方が長いんだもの。猪の群れが、売店のすぐそこの芝をほじり返していたって気が付きやしないんだよ。あれじゃぁ、やって貰わない方がいいよねぇ、ほほほほほ・・・・・・・・・」
姐ぇさん、おひとつ、
「ああぁ、ありがと。・・・・・・・・・そういや、さっきの話だけど、あの現場監督さんは、まだお元気なのかねぇ」
元気ですよ。多分、姐ぇさんと一緒に飲んだ頃よりも、大分人間丸くなったと思いますけど、
「おやおや、きりっとした良い男だったけど。そういや、年も年だしねぇ。あたしも人のこたぁ云えやしないやねぇ・・・・・・・・・」
だって、姐ぇさん、狸じゃぁないですか、
「おや、そうだったよ。ほほほほほ・・・・・・・・・」
実はね、その現場監督。あたしの師匠なんで、
「あら、そうかい。へぇ・・・・・・・・・お前様、弟子としちゃぁ・・・・・・・・・」
へぇ、あんまし出来の宜しきを得ませんで、
「そうだねぇ、男っぷりも、二枚も三枚も師匠の方がねぇ・・・・・・・・・」
へっへっへっ、仕事も気っ風も一向に敵いませんや、
「まぁ、会うことのあったら、よろしく言っておくれよ・・・・・・・・・




「おはよぅっす・・・・・・・・・ぅわぁ、酒臭ぇし暑いし、何だよこりゃぁ・・・・・・・・・ああぁあ、キーパー昨夜夜回りするって云ってたくせに、酒飲んで夜明かしかよ。ああぁああぁ、ストーブもつけっぱなしじゃん。本当に酒入るとだらしないよな、この人ぉ」
「ああぁあ、駄目だこれ。キーパー完全に潰れてんぞ。あらぁ、一晩で一升瓶何本明けたんだよ」
「いいから窓開けようぜ、窓。ここにいるだけで酔っぱらっちまいそうだよ」
「おい、何で湯飲みが二つなんだよ」
「知るかよそんなこと・・・・・・・・・うわぁ、風の冷てぇことぉ、昨夜も寒かったもんなぁ・・・・・・・・・」
「それよか、この人今日一日使い物にならねぇだろうから、お前、みんなが来る前に下を一回り見回りして来いよ。俺、上を見てくっからよぉ」
「しかし、この人気持ちよさそうに寝てるなぁ。なんだか腹が立ってきた・・・・・・・・・ひとつぶん殴ってみようか」
「いいからほっとけ。ほら、みんな来ちゃうから一回り廻ってこようぜ・・・・・・・・・」
「霜がひどいから、カート道とか滑るかもしんねぇなぁ」
「時間ねぇから、とりあえずカート道とか要所だけにしようぜ」
「こう云う日はさ、明け方に歩いた兎とか狸とかの足跡が、霜の上に残ってたりするんだよなぁ。昨夜みたいに寒い夜は、狸だってたまんなかっただろうなぁ」
「お前、詩人になってる場合じゃぁないよ。早いところ出掛けようぜ・・・・・・・・・」
「あれ、キーパーの腹に葉っぱが一枚載っているけど、まさか布団代わりってんじゃぁ・・・・・・・・・」




(霜夜狸・宇野信夫原作 三遊亭圓生脚色口演を原案にしています)