緑色の単車に乗っていた頃
この山では、冬になれば〔雪掻き〕からは逃れられません。
sibakuro、雪かきとか、そう云う〔生産性〕を実感できない仕事は嫌いだと云いましたが、まぁ、一人工のことから嫌いでしてね。
親方に
――――――――その頃
ガソリン代やタイヤ代。オイルや部品代で安月給のほとんどを使い果たし、金欠は毎度のことだったが、単車馬鹿は高ずる一方で、一向に止む気配はなかった。
丁度自分がオフロードのレースにのめり込んで、仲間が欲しかった知人に
「巧くなりたかったら、オフを走らなきゃぁ」
なんてそそのかされた挙げ句、125㏄の2サイクルエンジンの中古のオフロード車も買い込んでしまい、富士山の麓の演習場に潜り込んでは国防色のジープとか戦車と追い駆けっこをして遊び回っていたりもした。これは、そんな頃合いの話だ。
それは、とある冬のことなのだが、その年は、妙に雪が多かった。
いかに僕が単車馬鹿とは云え、流石に雪が降ったときは、タイヤが四つある乗り物で出勤せざるを得なかった。
その頃雨や雪の時に乗っていたMツビシの四駆のピックアップは、ある会社の社長からの借り物で、燃料が足りなくなったらその会社のカードで燃料が入れられるという
社長曰く、
「社用で買ったけど、そんなに乗らないんだよね。バッテリーが上がっちゃうのも厄介だから、お前、たまに乗ってもいいよ」
という、今では考えられないくらい鷹揚な話だった。
で――――――――
と、ある冬の日。
前日からの大雪がようやくに止んだ翌朝のことだ。
キーパーが何を考えたのか、僕に乗用のバンカー均し機の砂を均すレーキのユニットを外して、雪の上を走れと言い出した。
その頃、僕がお世話になっていたコースでは、バンカーを均すのに、Hンダ社製の3輪の赤いATV、それも、80㏄の可愛い奴の後ろに
だいたいバンカー均しなんぞは若手の仕事。
夏は暑いし冬寒い。
おまけに乾燥していれば埃が舞うし、下手をすれば
「うるさい、邪魔だ、埃が舞ってきてしょうがない」
と、クレームの元にしかならない仕事だ。
当然、段取りから云ったって、
――――――――定年退官でやってきた、融通が利かなくて無神経な
まぁ、そんなこんなで――――――――
そのATVも、ほとんど僕の専用車のような扱いであった。
まぁ、当時そこのコース課では僕が最年少の、唯一の二十台だったし、僕自身もそのATVに乗ること自体は嫌いではなかった。
キーパー、ニタニタしながら云った。
「
普段は、人のことを
「
なんて評しているキーパーの下手なおべんちゃらに、僕は愛想笑いをする気もしなかった。
要するに、フロント・経理・ホール・厨房・キャディの一隊でアウトコースの雪踏みをするが、インコースにまで行くには少し時間がかかってしまう。コース課はグリーンや道路の雪掻きで手一杯だから、お前がそいつに乗って先行してインコースに行って踏めるだけ踏んでおけ――――――――
「それも、なるたけ日陰の融けにくいところをな」
という、それは、まるでその時の僕には罰ゲームのような段取りだった。
だって、アウトコースの雪踏みに合流もしくは、その近くでの雪掻きの方に回されえれば、ひとつ年上のフロントのE子ちゃんに・・・・・・、
ねぇ・・・・・・
どうせ寒いのは解っていたので、僕は手袋や靴下を重ねたり、合羽を着込んだり、厳重な支度をして工場に行った。
工場では自衛隊上がりで徳島訛りの抜けない、初老の機械担当のHさんが、ATVの後ろのユニットを外し終えたところだった。
E子ちゃんの顔を見れそうにないし、たぶん一人で凍えるであろう段取りに、半分ふて腐れていた僕の――――――――
僕の目の前に、その80㏄の非力なATVは、明らかにどこか今までと違う姿を、明確な存在感を示して佇んでいた。
バンカー均し機という、いわば、農耕馬に姿をやつしていた馬が、自由に走り回れる本来の姿を取り戻していたのだ。
覚えずに、僕の口の端は
お前、いけそうじゃん。なんだか面白くなりそうだねぇ・・・・・・
僕はいつも〔緑色の単車〕にそうしているように、タンクのあたりをそっとなでてみていた
さぁ、行こうぜ
って、
「あのなぁ、
機械担当のHさんが、何とも情けない声を掛けてきた。
いや、
言いかけて、僕は止めた。
実直で、堅物で、およそ融通の効かないHさんに、
なかったが、僕はその後Hさんの愚痴とも愚図ともつかない繰り言をしばらく聞かされなければならなかった。
昼飯の時間を少し過ぎて帰ってきた僕は、汗まみれで、疲労困憊していた。
端で見ていても解ったのだろう。
人気のない従業員食堂で昼飯を取っている僕に、これまた皆に遅れて飯を食いに来たキーパーが云った。
「sibakuroぉ、午後から誰かと変わるか?」
ああぁ、いいっすよぉ。俺、午後もやりますから
そう云ってぼくは、食器を返しに立った。
はっきりいって、他の誰かにやらせるきなど、
とりあえず、汗でぬれたTシャツなんかを、雨で濡れた時のために持ってきてあったものと替えて、僕は残りの休み時間を寝て過ごした。
午後になるのを待ちかねて、僕は再度インコースの雪を踏むために勇躍管理棟を飛び出した。
ハウスやマスター室の連中がぞろぞろとアウトコースへ向かって歩いてゆくのを後目に
フロントのE子ちゃんとすれ違った時に、E子ちゃんの横のフロントのすかした兄ちゃんが話しかけたせいで顔が見られなかったのが、えらく腹立たしかった。
が――――――――
いざ、雪の上に出てしまえば、もうそんなことは関係なかった。
何せ、僕の相棒のATV。
雪の中を走らせようと思ったら、
- 思いきり後輪加重
- 常にアクセルオン
でないと、たちまちに前輪が雪に埋まって二進も三進も・・・・・・
ところがこの、思いきり後輪加重+常にアクセルオンという状態、非情に困ったことが・・・・・・
そう、賢明なる読者の方ならば、すでにお判りのことと――――――――
なんて、大したことでもないのだが、
つまりは、走らせるためには、
思いきり後輪加重+常にアクセルオン。
曲がろうと思ったら、一瞬のアクセルオフ →思いきり前輪加重+思いきり車体イン側に加重→スロットルケーブルちぎれるくらいのアクセルオン。
向きが変わりかけたら即座に思いきり後輪加重+目一杯アクセルオンを維持・・・・・・
なんて云う、傍目にはいかにも楽しそうなモトクロスごっこにしか見えないような乗り方が要求された。
おまけに、三輪のくせに二駆 +非力な80㏄。ちょっと気を抜くと前輪が雪に突っ込んで機械が横転して、最悪では乗員が外側に投げ飛ばされてしまうと云うオプションももれなく付いているのだ。
ところがこれが、オフロードの面白みも味わってしまった単車馬鹿には面白い。
はっきり云って、もう仕事そっちのけ。
監視する目とてない無人のコースは絶好の練習場だった。
何度も曲がり損ね、何度も横転するうちに、その日の午後遅くには、僕にはそのやたらと非力で扱いにくいATVで雪の上を走る
普段の単車の挙動とは全然違うそれを、何とかねじ伏せて雪の上を走り回る快感。
次の日も、僕は半ば志願するようにして、そのATVと遊び回った。
作業服の下は、演習場でオフロード車を走らせるときの吸湿性の良い下着を着ていたし、大量の汗をかくことが判っていたので着替えの支度も万全だった。
出来れば、先だって買いそろえたばかりのモトクロス用のパンツやブーツやヘルメットでフル装備をしたいところだったが、おろしたての革のブーツは雪で水を含むと後の手入れが大変そうなので断念した。
ブーツが駄目と言うことは・・・・・・
まさか長靴にモトクロス用のパンツ、と云うわけにもいかずに、下は作業着に合羽だった。
結局、外見は昨日となんにも変わらなかった。
外見はともかく、二日目も昼前には、僕はもうそれこそ汗まみれになりながら夢中でそのATVを走らせていた。
その頃には、ほとんど横転することも、スタックすることすらもなくなっていた。
要するに非力でダルななエンジンをカバーするために、大げさなくらいのボディアクションで、重心を操れば良かったのだ
癖が飲み込めてくると、何回かに一回は、ダートトラックを走らせるように前輪でコーナリングラインをトレースさせながら、後輪を派手にスライドさせるようなことも出来るようになってきた。
アクセルワークとボディアクションで、前輪を浮かし気味にギャップや轍を越えたり、わざと後輪をロックしてターンしたりすることも覚えた。
マウンドや、土盛りの低いティインググラウンドなんかは格好のジャンプ台に仕立てられてしまうし、大きな立木なんかはスラロームのポール代わりになってしまう。
日陰の凍り気味の緩い下り坂ではボディアクションとアクセルワークでスネークダンスをしてのけて見せたし、土盛りの高いティインググラウンドの斜面を前輪を浮かせて後輪だけで駆け下りた時は、本気でATVを買いたくなっていたくらいだ。
今借りている四駆のピックアップがあれば、トランスポーターには事欠かないじゃん
僕は有頂天だった。
はっきりいって、雪掻きが楽しいと思ったのは、あの時だけだった気がする。
二日目の昼過ぎになると、アウトコースに行っていたコース管理の連中が、インコースの方へも顔を出すようになってくる。
その頃には、インコースの9ホールの半分以上は僕が走り回ったあとなのだが・・・・・・
僕が楽しそうに乗っているのをみて、始めは、
「おう、sibakuro。俺にも乗らせろ」
なんて云って乗ってみた諸先輩方。思ったほど、機械が云うことを聞かない。
――――――――僕に云わせれば、「そんな怠けた乗り方で
走ることすら出来ないか、前輪を取られてつっこむか、むやみにハンドルを切って投げ出されるか・・・・・・なのだから、すぐに
「・・・・・・だめだ、こんなの」
って、僕に返してくるのが
その次の日も
流石に、三日目ともなると雪も締まって硬くなってくる。
それはそれで僕には格好の練習材料だったが、それよりもなによりも、インコースで
おまけに僕は、その二日半の
だいたい、雪踏みなんて仕事の時は、みんないつもより早く上がってきて昼飯になるもので、その日も従業員食堂に行ってみれば、誰ぁれもいない有様で、僕の分の焼き魚の皿がぽつんとカウンターに置いてあった。
「はい、お疲れ様」
食堂のおばちゃんは、大サービスのつもりなのだろう。大きな
もちろん、ご飯も山盛りだった。
どうもぉ――――――――
口の中で
食べ終わって、食器をカウンターに返しに行く頃、香ばしい臭いと煙が漂い始めて、従食のおばちゃんが新しい魚を焼き始めているのが知れた。
従食をでた僕は、そこでフロントのE子ちゃんと、誰とか云う例のすかした兄ちゃんとすれ違った。
「お疲れ様ぁ」
僕に掛けてくれた、屈託のないE子ちゃんの声はいつもの通りだった。
どうもぉ――――――――
口の中で
で――――――――
その後も何度か僕と
その度に僕は、Hさんから
「あのなぁ、
と云う、例の徳島訛りの愚痴を聞かされてからインコースに向かわねばならなかった。
ハウスやマスター室からの人工はアウトコース。
sibakuroはインコース。
と云う分担が何故かキーパーの頭の中では出来上がっている様だった。
僕の中では
それに、実のところ、丁度その頃採用された三つくらい年上のキャディのH美ちゃんに僕は気をとられていた。
H美ちゃんは、今で云うところの
おまけに、僕が雪の上でATVで遊んでいるのを見て
「楽しそぉ、乗らせてぇ・・・・・・」
って彼女が声を掛けてきて以来、僕はH美ちゃんに・・・・・・